大橋崇史という人物像 🙄
自分自身をブログにする前提…
以前に自分の目指したいスタイルについて記事を書かせてもらいました。
今日は自分のことについて書いてみたいと思います。記事を読んで問い合わせしたい等思って頂いた際に、どんな人物なのかが重要になると思ったからです(*^^*)
まぁホームページのプロフィールと同じような内容になってしまうかもしれませんが…
年齢
僕は1984年7月15日生まれの現在34歳です。世間的にはいい年したオッサンですが、税理士業界的には比較的若めです(*´з`)
生誕地
岐阜県の羽島市という所で誕生しました。新幹線の岐阜羽島駅とか高速道路の岐阜羽島ICがあるそのへんですね。のどかな所です(*´з`)嫁は羽島に愛着がないようで…(-_-メ)
保育園
4歳から小熊保育園に入園。3年保育です。かなり泣き虫だった記憶があります(*´з`)そして子供も小熊保育園に行っているのでなんか親子で感慨深いです(*^^*)
小学校
7歳から12歳は小熊小学校に通っていました。たぶん保育園の頃から野球は大好きでした。なので小学校3年生から野球を始めました。高校野球の甲子園も大好きであーれは何年生だったのかなー。。。小学校4年生くらい?初めて親に甲子園球場に連れて行ってもらいました!その時の感動は今も忘れていません。大垣商業高校が甲子園に出た試合でしたね。エースは「新井大」…相手は京都の西城陽!子供の頃の記憶って凄いですね(*^^*)だから何年生のときに甲子園に初めて行ったかは曖昧ですが、大垣商業が次に甲子園に出場したときに分かるなーと思っています。〇〇年ぶりー!!!!そう、それ以来大垣商業は甲子園に出場していないから(‘ω’)ノ
中学校
13歳から15歳は羽島中学校に通っていました。正木小学校、足近小学校、小熊小学校の3校が一緒になる学校です。そこでも僕は野球部に入部しました。ピッチャーを基本的にはやっていました!思春期なので親ともいろいろありました。印象的な出来事は母親と喧嘩して母親が「実家に帰る」と言ったこと。父親と車の中で話して「僕が家事やるから帰らしたって」って言いました。偉そうに。まさにガキですね。そのときに父親から言われたこと…「おじいちゃんおばあちゃんが心配するから」そう、僕にとってはおじいちゃんおばあちゃんって存在でしか感覚が無かった。だけど母親もおじいちゃんおばあちゃんの「子供」なんだ…母親って大人にしか見えないからそんな感覚が無かった。親と喧嘩することは決して良いことではないけど、そんな出来事があったから、僕にとっては一生忘れることのない金言を父親から貰ったと思っています。親は子供を心配し続ける…親が亡くなっちゃうと誰よりも心配してくれるであろう大切な人が居なくなっちゃうんですね。だから子供が今度は親を一生心配というか大切にし続ける。そんな事を教わった中学校時代でした(人’’▽`)
ここまでのまとめ
人生うまくいくことばかりではないですが、失敗した、迷惑をかけたから気づくこと、分かる心って本当にあると思います。順調に育って順調に人生歩むことはそれはそれで素晴らしいと思いますが、怒られたからこそ気づけたことってのもあると思います。変な表現かもしれませんが、エリート税理士では分からない心も理解できるんじゃないかな?って本気で思っています。だから凄く当たり前であなたが恥ずかしいと思うことも聞いて下さい。恥ずかしい気持ちは分かりますが(僕もほんとにそうなので!!!)、僕には聞いて欲しい!
嫌いな言葉があります。
「当たり前でしょ。」
あなたにとっての当たり前をこちらにとっての当たり前にしないで下さい。頭の中は人それぞれ違うくね?
なんか一人で熱くなって生い立ちの話と逸れたですが、中学校までの失敗も税理士として独立した理由の一つです!